霧社の街を一望できる高台に、嘗て神社がありました。
霧社の街外れ、廬山方面への道を進むと左側に上り坂が現れます。この道は霧ヶ丘社への表参道です。
更に進むと道の両脇に大きい木が並び、なんとなく神社の雰囲気が感じられます。その先に鳥居が見えてきます。
霧ヶ丘社は昭和7年(1932)に鎮座しました。鳥居は当時からのものですが、鳥居に見えないようにするためか、柱が笠木を突き抜けて見えるように細工がされています。日本時代が終わり神社を破却するときに、鳥居にこんな細工をするよりも引き倒してしまったほうが手っ取り早いと思うのですが、細工をしてまで残したいと言う意思が働いたのかどうか、当時の人の話が聞いてみたいものです。
階段は新しく作られたもので、古さは全く感じることはありません。階段の途中にペンキで塗られた燈籠が残っています。
神社跡は徳龍宮という廟となっていました。
正面には燈籠が残されています。これがなければ、何にも面影はありません。廟の後ろには新しい廟が建設中でした。これが完成すれば、更に神社の面影は無くなってゆくものと思われます。
霧社の街から分かれ、坂を上り木々の中を歩き、神社の鳥居に辿り着くまでが、一番神社を感じさせてくれました。霧社を訪れることがありましたら、街の中心からも近いですので、歩いてみては如何でしょう。
霧ヶ丘社(現・徳龍宮) 南投縣仁愛郷大同村介壽巷36-1號