嘉義から車で1時間ほど走った海の傍の小さな集落には、日本人の警察官を祀った廟があります。
嘉義県東石郷副瀬村、小さな集落の中に富安宮という小さな廟があります。台湾ならどこにでもありそうな小さな廟ですが、神として祀られているのは明治時代にこの地に赴任していた森川清治郎巡査です。
森川巡査は義愛公という神様になっています。訪れた際に森川巡査のことを伝える義愛公沿革誌という本を頂いたのですが、この本に収められていた当時の児童向けの本「明治の呉鳳」の序文では「部落民に対しては、慈父の如くよく義愛の温情を以て之を指導し、部落民より敬慕せられし(原文まま)」と書かれていました。日本が統治するようになってから、まだまもない時期で、統治者である日本人に対する反感感情も強かったでしょう。「明治の呉鳳」は日本人の書いた本ではありますが、現在も神様として信仰され、住民にこれほど尊敬されるというのは、並大抵のことではなかったと思います。
森川巡査は、新税に苦しむ住民の願いを聞き入れ、役所へ住民の窮状を伝えます。この行為が、住民を扇動しているとみなされて訓戒処分となり、その後、森川巡査は自決します。慕われていた森川巡査の死を、住民は嘆き悲しんだと伝えられています。20数年後、森川巡査は村人の枕元に立ち、隣村での脳炎の発生したので対策を立てるようにと伝え、そのお陰で住民は助かることができたそうです。死後も住民のことを気に掛ける森川巡査に感謝し、神として祀られるようになりました。
廟にある森川巡査の御神体は、明治時代の警察官の制服姿でした。 着座するその姿は、正に明治の警察官です。この姿が御神体というのはとても驚きでした。祭壇には同じ姿の御神体が何体も祀られていましたが、右側の像が分かりやすいかと思います。
富安宮は建て替え計画が進んでいると昨年(2008)報道されました。建て替えられますと、大きく立派な建物になると思いますが、この村に溶け込んでいる現在の廟の雰囲気がとても良いものですので、なくなってしまうのは寂しさを感じます。しかし、住民に信仰されているからこそ建て替えも行われる訳ですし、義愛公はいつまでも副瀬村の神様として住民を見守ってゆくのだろうと思います。
http://www.tokoshokai.co.jp/giaiko/
日本義愛公会
富安宮 嘉義縣東石郷副瀬村