台東市南王集落の収穫祭を見る機会に恵まれました。
南王のプユマ族は、各地域のプユマ族の集落の中では最大の規模を誇っています。今年(2009年)の収穫祭は7月11日に行われました。祭典の開催日は、長老たちが集まって半月程前に正式に決まる為、旅行者が訪問するのが非常に難しくなっています。今回、お世話になっている長老の方に誘われ、初めて原住民のお祭りを見る機会に恵まれました。
遥か昔、紅頭嶼(現:蘭嶼)から、命懸けで海を渡り粟を台東に持ち帰ったアダルマオ夫妻に感謝する為に、蘭嶼を望む海岸で行います。儀式は男性だけで行われ、女性は村で祭りの支度をします。
朝8時半前、海岸から少し離れた集合場所で頭目(右端)と長老達が、談笑しているところにお邪魔しました。長老達は皆日本語が達者です。席が無く立っている私に席を譲ろうとする長老達に「一番若い私は立っています」と言うと、頭目に「日本軍の精神が残っているなぁ」と言われました。集合時間に遅れがちな若者に対して「昔は村も規律があったものだか、今は自由の時代だからなぁ」とも。
すぐ横では、近くから茅(と彼らは言っていたがたぶんススキ)を調達して、それを束ねています。その際にイナシと呼ばれるビーズ状のものにクリウという草から作った紐を通したものを使います。
このイナシ、何で出来ているのか聞いたところ「レンガ」という答えでしたので、焼き物だと思われます。儀式で使用するのは、ススキの束の他にも、檳榔も使われます、檳榔にイナシを巻きつけたものや、縦に割れ目をいれてイナシを挟み込んだりしたものを作っていました。イナシは儀式に無くてはならないもののようです。
海岸に行く前に儀式に祈祷役が祷りを捧げます。その後、紐の付いていないイナシを数粒配られ、(祈祷役とは別の方に)お払いをしてもらい海岸に向かいます。この所作は神社のお払いに良く似ておりました。そして、お払いを受けるときにイナシを道へ投げます。
驚いたのは現代では車に乗ったまま、所謂ドライブスルーの状態でこれを行うことです。お払いを受けてから車に乗り移動しても良いのではと思うのですが、合理的というか現代化されていると感じました。
海岸に到着すると、先程用意したススキの束などを使い、若者達を中心に祭壇作りが行われます。
長老達は、同時進行で儀式の際に参列者がお供えをする為に使用する、檳榔に葛(カズラ)の葉を巻いたものを作っています。
祭壇は海岸を背にして葛を巻いた檳榔をお供えする台、アダルマオ夫妻がいる小屋、神様に供える粟の御飯と酒が載せられた台の三つからなります。
準備が整うと儀式が始まります。
海岸に行く前に作ったイナシを巻いたり、挟み込んだりしして加工した檳榔を手に持ち、祷りを捧げます。ここで使う言葉は、現在話されているプユマ族の言葉とは全く違うものだそうです。
祈祷役の祷りが終わると、参列者が順番に参拝します。
まずは葛を巻いた檳榔を一つ手に取り、左の砂で作った台に供えます。お供えの檳榔は綺麗に並べるのですが、こんなに大勢の人が参列しましたということを見せる為なのだそうです。そしてアダルマオ夫妻がいる小屋の前で一礼し、粟の酒と御飯を自分の周囲に少し撒きます。これは先祖はいつも自分の傍にいるという考えから、どうそ召し上がってくださいという意味が込められています。プユマ族の皆さんは、普段でもお酒などを飲むときなどにも同じことを行っています。
最後に祭壇に向かって三度礼をして終わります。
プユマの衣装を着けているのは頭目と祈祷役の二人だけ。6、70人の参列者は普段着ですので、儀式自体に神聖さというのは余り感じませんでした。しかし、こういう儀式は続けてゆくことに意義があると思いますので、現代化しているとはいえ、これからも廃れることなく続けていって欲しいものです。
この後、村に戻り賑やかなお祭りとなります。 お祭り篇につづく