海岸での儀式が終わると、集落にある集会場での祭りとなります。
海岸での儀式とは違い、こちらは村総出のお祭りです。家々から料理や飲み物を持ち寄って、広場の周囲に作られたテントの下で宴会となります。青年達の踊りなどを見ながらワイワイガヤガヤ、これは小学校のときの運動会のような懐かしさがありました。宴会の様子は楽しすぎて写真を撮り損ねてしまいました。
踊りの中にはプユマ族でなくても参加できるものもあり、多くの人達が踊りに参加していました。
プユマ族のご婦人が集まって歌を歌うという時間がありました。日本でいう民謡といったところでしょう。皆さんお上手で引き込まれる歌声なのですが、私は意味が分からないのが残念なところです。日本人には少々発音が難しいかも知れません。歌詞を頂きましたので掲載します。若い世代は歌っていませんでしたが、果たしてプユマの若者は歌えるのでしょうか。
bangesar a pakumauwan
mudaway a bangesar a pakumauwan
bulay alaway in inudawayan
tu kinaulcpan dra liwawadiyan
tu ikaaiyalraman dra temuwamuwan
semenaya ta muaraka ta
mapiyaiyapiya garem
a senay dra mulaliyaban
1
uniyan dra kabinian i kinadriwan
tu ayaayaaw paredek i kababutrulran
tu atrebungay lra kascmangalan lra
tu lraselrascdraw maruwaruwa lra
pukidrayayan tu pubiniyanay lra
tu sapusapuraw lra
tu paredekanay lra kanta garem2
amau lra na kasangalan dra temuwamuwan
inuka semabalr pakelradram i karumaan
masikasik lra mulaliyaban lra
maresiyuk a miyabetan
pakelradram a maaidrangan
karasunan lra karapetrik lra
temarapumaderu lra kandri maidrang
amelri a raretraan bulay a kakuwayanan
祭りの一番の盛り上がりは子供相撲です。
相撲が始まると、祭りに参加している殆どの人達がが土俵の周りに集まります。相撲は日本時代に日本人が持ち込んだものが定着したものだそうです。行司役はちゃんと軍配を持っていますね。
取組み前にはちゃんと清めの塩も撒くのですが、撒くのはなぜか周囲の世話役(上写真)でした。力士は撒きません。文化も伝わる段階で、少しずつ変化していくようです。
変化といえば、取組みは何故か3回勝負でした。1回目で負けても2回目に勝てば逆転勝利の可能性もありますが、逆転は中々難しいようです。負けた方は2回も倒されなくてはならない訳で、少々可哀想な気がしました。
子供達は真剣そのもの。
中学生ぐらいになると異性の目も気になる年頃ですので、気になる女の子の前で負ける訳にはいかないといったところではないでしょうか。
お祭りはプユマ族以外の人も参加できます。台湾滞在中に収穫祭に巡り合った方はぜひ参加してみては如何でしょうか。