台北市郊外、士林区にこんもりと木々に覆われた小さな山があります。かつて芝山巌と呼ばれた山は、
山全体が芝山岩史蹟公園として整備されています。
登るのをためらってしまう程の急な階段が迎えてくれます。
公園入口の急階段を登りきり、振り返りました。
階段で挫けそうな方には、とても緩やかなスロープもありますのでご安心を。
但し、急階段を回避する訳ですから物凄い遠回りです。
台湾が日本に割譲された明治28年(1895)、総督府はこの地に芝山巖學堂という国語(日本語)教育を進める為の学校を開きました。
翌年の元旦、6人の教師が日本統治に反対する勢力に襲撃され惨殺される事件がありました。日本による統治が始まったばかりで、
治安がまだ安定していない時期でした。襲撃は事前に予測され教師達は忠告を受けていたのですが、
教育に命を懸けていた彼らはあえて逃げることをしなかったそうです。
この事件は後に“芝山巌精神”と言われ、教師の目指すものとされ、この地に芝山巌神社が創建されました。
この道は神社の参道の面影が残っていますね。
亡くなった6人の教師のことを伝える、學務官僚遭難之碑と書かれた碑があります。碑文は伊藤博文が揮毫したもので、 戦後は倒されて放置されていましたが現在は立て直されています。
この碑は政治的な動きにより、再撤去される可能性があるようです。
このブログでは政治的なことには触れませんが、末永くこの地で建っていて欲しいと思います。
その後、神社には台湾の教育に殉じた教育者も祀られ、氏名を刻んだ故教育者姓名碑が建てられました。
この中には台湾人教師も含まれているそうです。
これらの碑も破壊されていましたが、状態の良いものが立て直されています。
故教育者姓名碑の周囲には、完全に破壊された碑の残骸が転がっています。
放置されている姿は痛々しく感じます。
更に進みますと、 “六氏先生之墓”があります。
これは、芝山巖學堂が開設されて百年目の平成7年(1995)、後身にあたる士林国民小学校の卒業生有志が再建したものです。
隣の芝山巖惠濟宮です。
芝山巖學堂は惠濟宮の後殿を使って開設されました。
惠濟宮の住職は、国民党によって破壊されていた六氏先生之墓跡から遺骨を密かに移し、小さな石塔を建てて長い間守ってくれていたそうです。
惠濟宮から台北市街の眺望です。
左手の山の稜線の裾辺りに小さく見える尖がったビルは台北駅前の新光摩天楼です。
一万年の遥か昔、台北は台北湖という塩湖や淡水湖という時代があり、芝山岩は島だったそうです。言われてみれば、 周りの平地からポツンと浮かぶ姿は島のようにも見えます。周囲は市街化されていますが、ここは豊かな自然が残り、 何と現在でも島だった頃の名残である水辺の植生が見られるそうです。
小さいといえ山ですので、運動不足の人には少々辛いかも知れませんが、
歴史に興味のある方は訪れる価値はあると思います。
頑張って登って下さい(^^;)
芝山岩史蹟公園
MRT士林駅から 徒歩で 約30分
バス(206系統)で芝山公園下車 約 5分
MRT芝山駅から 徒歩で約15分
歴史の解釈によって短期間で悪にも善にもなってしまう事っていやですね。
GWは台湾でしょうか・・・^_^;
GWは一日も休まず仕事です…。
年中無休が売りの我が業界、休めないのは致し方なしと諦めております(^^;)
先日、この逆コースで歩いてきました。惠濟宮で六氏先生の碑を尋ねたら日本語世代の方(ボランティアの方でしょうか)が、再建された墓や遭難の碑を案内して下さいました。
その方から、六人の先生方は110年前の元旦に荒れてて危ないからとの地元民の制止を振り切り基隆河を渡船で渡って城内へ参内した帰路、被害に遭われたと聞きました。
連れ合いが書いた芝山岩のブログアドレスを置かせてもらいます。
http://diary.jp.aol.com/fsnm4g/65.html
他にも、私達が歩いた、歩こうとしている色んな場所を書かれているので、またコメントさせていただきますね。
私が訪れたときには、日本語を話される方はいらっしゃいませんでした。
六氏先生の墓も今のところは現状が維持されそうなので一安心ですが、この先、また槍玉に挙げられそうな予感がします。
更新も滞りがちなブログですが、宜しくお願いします。
自分のタイプミスで申し訳有りません。私のハンドルは平仮名で さんすけ です。よろしくおねがいします。
明日は東北角方面へ磯遊びに行ってきます。名所旧跡めぐりではないのですが、今日も午前中で34度を突破してるので明日もこのままの夏空で台湾の海を満喫できたらと思ってます。
トラックバックありがとうございました。
Sumiさんの記事、とても興味深く拝見させて頂きました。
破壊された石碑の残骸を見て、色々な事が頭の中に湧き上がってきました。
私の方からもトラックバックさせて頂きました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
追伸;「さんすけ」というHNは平仮名が正しくて、「三助」は誤変換だったそうです。
こちらも併せてよろしくお願い致します。