追分駅はその名前の通り、路線の分岐する地点にあります。
追分駅は大正11年(1922)に開業し、分岐を表す追分を駅名としました。追分は海線との合流駅である彰化駅と、 台中方面への成追線との分岐駅となっています。この区間は三角線と呼ばれる路線となっていて、本来ならば海線、 山線を直通する列車は彰化で進行方向を変えなければならない(スイッチバック)のですが、 成追線という短絡線があるおかげで向きを変えずに列車を走らせることが出来ます。
駅舎は開業当時のものが使われています。
県の古跡指定をされているそうです。古い部材は交換してあるからなのか手入れが良いからかなのか、
どちらかははっきりとはしませんでしたが余り古さは感じませんでした。
他の駅舎よりは待合室が大きく作られていていました。天井も高く、広々とした感じです。待合室内には、 駅の歴史が様々な形で展示されていました。追分駅に限らず、歴史ある駅舎を観光などに活用しようとする動きが見られ、 これからも木造駅舎は大切にされていくと思われます。
駅員さんによって木々が良く手入れがされていて、とても気持ちが良かったのが印象に残っています。
追分駅には、今では殆ど見られなくなりました線路を横断する通路が現役です。昔は何処でも見られた通路ですが、 より安全な跨線橋に取って代わられ今では殆ど見ることが出来なくなりました。
追分駅という名前の元になった短絡線を通る旅客列車は、僅かに成功駅(台中)方向に1日8本、逆の追分駅方向には7本です。 この区間を乗車してみましたが、普段余り乗ることが出来ない区間を乗車するというのはとても面白い体験でした。
追分駅 台中県大肚郷
懐かしい光景です。一度、追分站に行ってみたいです。
日本では今でもちょっと郊外へ出ると、構内横断路は健在ですよね。台湾は利用者が殆どない駅でも跨線橋が作られています。安全を考えれば当然なのかも知れませんが、横断路の方が階段の上り下りもありませんし楽なのですけどね。
しかも、線路に近づけて嬉しかったりして(^_^;)
最初に十分瀑布に行った時、候[石同]駅で駅員にどう行くか聞いたら「大華で降りて歩く」とのこと。で、降りたらそのような道はなし。無人駅(たしか)だし、一緒に降りた他の人に訊くと、「そこ」と事も無げに線路を指差す。びっくりしました。線路を歩いて行くんです!その上、途中にはトンネルまであるんです。
ちょっと悪いことをするドキドキ感を伴った何十年か振りの線路歩きでした。
でも、このルートはそもそも駅員が教えてくれたものなのです。
線路を歩くのって、どうしてワクワクするんでしょうね。
平渓線沿線は皆さん歩いていますね。運転士もいつものことなので、慣れた様子で警笛を鳴らして歩く人達を退かしていました。線路に立ち入ることは多分台湾でも悪いことなのでしょうが、そこまで目くじらを立てないところが台湾らしいところでしょうか。
写真の駅が、実家の駅舎(今はもうない)にそっくりで、びっくりしました。
台湾に行けば、この風景がまだあるのですね。行ってみたいなぁ。
私の地元の駅も、昔は木造平屋でした。
数は限られていますが、台湾にはまだ木造駅舎が残っています。是非、訪れてみては如何でしょうか。